PADに通れば安全、ではない。ISO 30107の範囲
eKYCベンダーの提案書にある「ライブネス検知対応」という一言を、なりすまし対策の証明として読んでよいのか——本記事は、eKYCを導入する事業会社の開発責任者・セキュリティ担当者が、PAD(Presentation Attack Detection)の保証範囲を規格の適用範囲から正しく読み、ベンダーへの確認事項に落とせるようになるための解説です。生成AIでディープフェイク素材の作成コストが下がったいま、「ライブネスあり」の一言で安心してよいかどうかは、規格が何を試験し、何を試験していないかを知らないと判断できません。確認日: 2026年8月23日。
なお、顔照合そのものの精度(FMR/FNMR)と閾値の話は『顔照合の閾値設計』が担当しています。本記事はその上に載る「なりすまし検知」のレイヤーを扱います。
この記事の要点
- PADが対象とするのは、カメラに偽物を「提示」する攻撃です。写真・画面再生・マスクの検知がこれにあたります
- 仮想カメラやデバイス改ざんで映像を直接「注入」する攻撃は、PADの試験規格ISO/IEC 30107-3の範囲外です
- PADの指標APCER/BPCERはトレードオフの関係にあり、試験に使った攻撃種別に依存します。「準拠試験に合格」は万能の耐性証明ではありません
- 注入攻撃への対策は画像解析ではなく、端末アテステーションやセッション束縛という別レイヤーの技術です
- ベンダーには「第三者試験の攻撃種別と数値」「注入攻撃への対策」の2点を分けて確認します
PAD=「提示攻撃」の検知技術
PADは、生体認証のセンサー——eKYCではスマホのカメラ——に対して、本物の生体以外のもの(攻撃用具、PAI: Presentation Attack Instrument)を提示する攻撃を検知する技術です。eKYCの文脈で「ライブネス検知」「生体検知」と呼ばれているものが、ほぼこれに対応します。
PADが対象とする提示攻撃の典型は次の3つです。
- 印刷した顔写真をカメラにかざす
- スマホやタブレットの画面で写真・動画を再生して見せる(リプレイ攻撃)
- 立体マスクやフェイスモールドを装着する
検知方式は大きく2系統に分かれます。
| 方式 | 仕組み | 強み | 弱み |
|---|---|---|---|
| アクティブ方式 | まばたきや顔の向き変更をユーザーに指示し、反応を確認する | 仕組みが分かりやすい | 離脱率を上げる。動画リプレイにやや弱い |
| パッシブ方式 | ユーザーに動作を求めず、画像の質感・反射・立体感から判定する | UXが軽い | 判定根拠がブラックボックスになりやすい |
多くの商用製品は両方式を組み合わせています。導入側の観点では、アクティブ方式の動作指示は申込完了率に直結するため、検知強度とUXのバランスもeKYCの離脱対策と同じ土俵で評価する必要があります。
ISO/IEC 30107-3が測るもの
PADの性能評価と報告の国際規格がISO/IEC 30107-3(現行は2023年版)です。主要指標は2つあります。
- APCER: 攻撃を本物と誤って受け入れた率(攻撃種別ごとに算出します)
- BPCER: 本物の利用者を攻撃と誤って拒否した率
顔照合のFMR/FNMRと同じ構造で、この2つもトレードオフの関係にあります。「APCER 0%」を謳う製品は、BPCER——正当なユーザーをどれだけ誤って拒否しているか——を併せて確認しなければ評価できません。
もうひとつの重要な性質は、APCERは試験に使った攻撃種別に依存することです。どの品質の写真か、どの画面か、どのマスクかによって数値は変わります。したがって「30107-3準拠の試験に合格」の正確な意味は「試験した攻撃種別について一定水準を満たした」であり、あらゆるなりすましへの耐性証明ではありません。
規格の範囲外にある「注入攻撃」
そして最も重要な限界がここです。ISO/IEC 30107-3は、センサーに対する「提示」攻撃の試験を扱う規格であり、センサーより後段への映像注入は対象外です。具体的には、次の攻撃はPADの試験範囲の外にあります。
- 仮想カメラソフトで、カメラ入力そのものを偽映像に差し替える
- 改造アプリ・改造OSで、SDKに渡る映像データを書き換える
- 通信を改ざんして、サーバーに送る映像や判定結果を差し替える
生成AIで本人そっくりのディープフェイク動画を作り、仮想カメラで注入する攻撃は、この「範囲外」に正面から該当します。つまり**「ライブネス対応=ディープフェイク対策済み」と読むのは誤り**です。カメラの前に何をかざしても検知できるとしても、カメラを通らずに映像が入ってくる経路には、画像解析ベースのPADは原理的に無力です。
注入攻撃への対策は別レイヤーで確認する
注入攻撃に対抗するのは、画像を解析する技術ではなく、クライアント環境とセッションの完全性を確認する技術です。ベンダー評価では次の4層を確認します。
| 対策 | 何を確認するか |
|---|---|
| 端末アテステーション(Play Integrity / App Attest) | 改造されていない正規アプリ・正規OSからの通信か |
| カメラソースの検証 | SDKが物理カメラから直接取得したフレームか(仮想カメラの排除) |
| セッション束縛 | 撮影・読み取り・送信が同一セッションで行われ、途中差し替えがないか(チャレンジの埋め込み等) |
| サーバー側の異常検知 | 同一映像の再利用、端末・IP・行動パターンの異常 |
発注者としてのベンダー確認は、次の2つの質問に集約できます。
- 「ISO/IEC 30107-3系の第三者試験は、どの攻撃種別で受けていますか。APCERとBPCERはいくつですか」
- 「仮想カメラ・改造端末による映像注入への対策は何ですか」
前者にだけ答えられて後者が曖昧なベンダーは、生成AI時代の脅威モデルに対して不足があると判断できます。また、FIDOアライアンスの顔照合認定(Face Verification Certification)のように第三者試験の枠組み自体も進化しているため、認定の種類と取得日も確認材料になります。こうした質問リストは、『eKYCサービスの選び方20項目』のセキュリティ項目とあわせて使うことをおすすめします。
残るリスクと、JPKIという別次元の受け皿
提示攻撃と注入攻撃の両方に対策しても、リスクはゼロになりません。端末そのものの侵害、正規ユーザーへの強要(本人に撮影させる攻撃)、アカウント回復フローの悪用といった経路は残ります。顔照合+PADはあくまで確率的な防御であり、なりすましを暗号学的に不可能にする仕組みではないのです。eKYC全体の安全性の考え方は『eKYCは安全なのか』でも整理しています。
この限界こそが、2027年改正でJPKI(公的個人認証)が本命方式とされる理由につながります。マイナンバーカードのICチップ内の秘密鍵と暗証番号による電子署名は、映像をいくら精巧に偽造しても突破できない、別次元の仕組みだからです。両方式の性質の違いは『eKYCとJPKIの違い』で詳しく比較しています。
実務の進め方としては、顔照合系の方式を使い続ける間はPAD・注入対策の確認を徹底しつつ、並行してJPKI方式への移行計画を立てるのが現実的です。移行の段取りは『2027年施行後のeKYC方式一覧と移行チェックリスト』を参照してください。
まとめ
- PAD/ライブネスは「カメラへの提示攻撃」を検知する技術です。指標はAPCER/BPCERで、試験した攻撃種別に依存します
- APCERとBPCERはトレードオフの関係にあり、「APCER 0%」はBPCERとセットで見なければ評価できません
- 仮想カメラ等による映像注入はISO/IEC 30107-3の範囲外です。「ライブネス対応=ディープフェイク対策済み」ではありません
- 注入攻撃には端末アテステーション・カメラソース検証・セッション束縛・サーバー側異常検知という別レイヤーの対策が必要です
- ベンダーには「第三者試験の攻撃種別と数値」「注入対策」の2点を分けて確認します
- 顔照合系の確率的防御の限界を踏まえ、JPKI方式への移行と組み合わせて脅威に備えます
よくある質問
Q. eKYCのライブネス検知(PAD)とは何ですか?
カメラに本物の生体以外のもの——印刷した顔写真、画面で再生した動画、立体マスクなど——を提示するなりすまし攻撃を検知する技術です。正式にはPAD(Presentation Attack Detection)と呼ばれ、まばたき等の動作を指示するアクティブ方式と、画像の質感・反射・立体感から判定するパッシブ方式があります。多くの商用製品は両方を組み合わせています。
Q. ライブネス検知はディープフェイクに効きますか?
提示攻撃として使われる場合(画面でディープフェイク動画を再生してカメラにかざす場合)は検知の対象ですが、仮想カメラソフトで映像を直接注入される場合は原理的に対象外です。PADの試験規格ISO/IEC 30107-3はカメラへの「提示」攻撃だけを扱っており、「ライブネス対応=ディープフェイク対策済み」と読むのは誤りです。注入攻撃には端末アテステーション等の別レイヤーの対策が必要です。
Q. APCERとBPCERとは何ですか?
ISO/IEC 30107-3が定めるPADの2大指標です。APCERは攻撃を本物と誤って受け入れた率(攻撃種別ごとに算出)、BPCERは本物の利用者を攻撃と誤って拒否した率です。両者はトレードオフの関係にあるため、APCERの低さだけを見てBPCERを見ないと、正当なユーザーを弾きすぎる製品を選んでしまう恐れがあります。
Q. 「ISO/IEC 30107-3準拠」の製品なら安全ですか?
「試験した攻撃種別について一定水準を満たした」という意味であり、あらゆるなりすましへの耐性証明ではありません。APCERは試験に使った写真・画面・マスクの品質に依存しますし、仮想カメラによる映像注入はそもそも規格の試験範囲外です。どの攻撃種別で試験したか、注入攻撃への対策は何かを個別に確認する必要があります。
Q. 映像注入攻撃にはどう対策すればよいですか?
画像解析ではなく、クライアント環境とセッションの完全性を確認する技術で対策します。具体的には、端末アテステーション(Play Integrity / App Attest)による正規アプリ・正規OSの確認、SDKが物理カメラから直接フレームを取得しているかの検証、撮影から送信までのセッション束縛、サーバー側での同一映像再利用や異常パターンの検知の4層です。
Q. eKYCベンダーになりすまし対策について何を聞けばよいですか?
2つの質問に集約できます。「ISO/IEC 30107-3系の第三者試験をどの攻撃種別で受けているか、APCERとBPCERはいくつか」と「仮想カメラ・改造端末による映像注入への対策は何か」です。前者だけ答えて後者が曖昧な場合、生成AI時代の脅威モデルには不足があります。FIDO顔照合認定など第三者認定の種類と取得日も判断材料になります。
Q. なりすまし対策を徹底すればeKYCは完全に安全ですか?
なりません。提示攻撃と注入攻撃の両方に対策しても、端末そのものの侵害、正規ユーザーへの強要、アカウント回復フローの悪用といったリスクは残ります。顔照合+PADは確率的な防御です。これに対しJPKI(公的個人認証)はICチップ内の秘密鍵と暗証番号による署名で、映像偽造では突破できない仕組みのため、2027年改正ではJPKIが本命方式とされています。
主な参考資料: ISO/IEC 30107-3:2023(PADの試験と報告)、FIDO Face Verification Certification、Android Play Integrity API、Apple App Attest
TodoONada株式会社は、マイナンバーカード認証(JPKI・eKYC)を組み込んだWebサービス・スマホアプリの受託開発を行っています。なりすまし対策の脅威モデル整理やベンダー評価設計から、JPKI方式への移行を見据えた方式選定・開発・運用までワンストップで支援します。料金の目安は認証機能組込みプラン150万円〜、認証込みアプリ開発プラン400万円〜です。詳しくはマイナンバーシステム導入支援をご覧いただくか、お問い合わせからご相談ください。
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出典・参照
- ISO/IEC 30107-3:2023(PADの試験と報告) (2026年8月23日確認)
- FIDO Face Verification Certification (2026年8月23日確認)
- Android Play Integrity API (2026年8月23日確認)
- Apple App Attest (2026年8月23日確認)